送ってくれた友達の車中で
感謝の表し方について話をしていました。
ピスタッキオの檜森シェフが、
シュクレクールにお返しするには今だ、と
あの人数分のお料理を、1週間の営業のあと、こしらえはった。
何かをもらったからといって、
すぐモノを返すのは違うと思うんです、と友達。
「感謝の気持ちはいつも持ち続けていて、
今回の檜森さんのように
何かの機会に
自分のできることをする。
借りを返すのとは違う」、って。
今回のBBQを感謝を示す場だと思われた檜森シェフ。
でも、と私は思う。
イル・ピスタッキオへ行ったことで、遠いシチリアへの興味がわいたり
いえ、ただただ「おいしい~」と嬉しくなったり、
溢彩流香で幸せな食の記憶がまたひとつ増えたり
これらはすべて間接的なお礼の形で
支えられてともった志という灯は
最初伸べてくれた手よりももっともっと多くの人を照らしている。
その光の一角を見守ることは
はじめのはじめを支えてきた皆さんの大きな喜びで、
だから
毎日のお仕事がもう、お返しになっているのでは。
、って、そのときはうまく言えなさそうだったので言わなかった。
次元は全く違いますが、
私も、しんどいときにお世話になった皆さんに
きちんとお礼ができてない。
あのときよりは、誰かを応援できる自分になれていたらな、と思います。